VOICE.07
福岡県よりUターン移住
移住のきっかけから現在まで
我々が育った時期は非常に貧しい生活を強いられており、その中で早く働きに出たいという思いがあり、 高校卒業後大阪で就職しました。
タイヤ製造業で技術部に行ってタイヤ設計、品質保証部の方で外の人たちの状況を聞きながら、タイヤ設計にいかす仕事をしていました。転勤が多く、大阪→宮崎→大阪→福岡という順でした。
県外での生活は非常に楽しい生活でした。友達もいっぱいおったし、飲み屋さんもいっぱいあったし、食べ物も美味しいし・・・というようなことでしたね。
しかし、57歳の時、両親がかなり高齢になって面倒も見ないかんということと、農業をするには定年より早めの方がいいだろうということで こちらへ帰ってきました。Uターンを考えたのは、両親が元気なうちに、ちょっとでも長く一緒にいたいなというような思いがあったからです。会社を辞めようという気は何回かあったけど、いつかこちらに帰るという迷いはなかったですね。
農業の知識もなかったので、ちょうどその時に(隣町の)佐川のアグリスクールで、1年間勉強させてもらいました。農業で食べていくのは、簡単なものじゃないというのは分かりましたね。種をまけばアナグマにやられるし、実ればイノシシにやられるし・・・かなり苦労している面もあります。天候にも左右されます。そしたら「次は何をしようか?次は何をしようか?」と試行錯誤しながら家内と楽しみながらやっています。
特に若い方がIターンUターンされて農業をやっていく上で、 かなり覚悟と作物の選定をすることが重要じゃないですかね。大々的に農業で収入を得て生活するのは、私の経験からすれば非常に難しいと思うんです。
田舎ですけど、四季折々のいろんな野菜や植物があって非常に満足で清々しい気持ちです。
私自身は趣味のゴルフをやったり、夏は鮎釣り、冬は狩猟というようなことで、ゆったりとした楽しい生活を送ってます。
集落では、年に2回のお宮さんの掃除、神官さんを呼んでお祀り等の役があります。帰ってきた当時は地区の公民館長もやらせてもらったし、地元の方は動ける人が欲しかったというのは事実かもわからないですね。
人とのつながりを大切にするのが一番ですよね。
最初のとっかかりとして、趣味を生かした人間関係、そして(地域の)役をやることによって、地域の人々のいろんな考え方もわかってくる。
役なり趣味をいかした人脈づくりを・・・。やっぱり一人で生活するっていうのは非常に寂しいですよ。
(Uターンで)帰って来た時には、山で何か生活の糧になるものができるだろうと思っていたけど、なかなかそこまでまだ行き着いていない状況ですね。
若い方が田舎へ帰ってきて生活しようと思った時に、今はインターネットを活用していろんなものを作ってインターネット販売とかやれば、開ける道はあるかなと思いますね。
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